もうひとつのドットのどくご

どんなもんだ!って笑い飛ばせるように

もうすぐはじまる

あと数日したら1回目の抗がん剤治療がはじまる。

 

今のお母さんは特に変わらず家事をしたり、ちょっとナイーブかなと感じたり、暑さか体力落ちたのか昼寝が長い日があったり。

 

でもご飯は変わらずだいたい食べれてるしひとまず身体は元気だと思う。概ね。

 

私はふとするとお母さんにぎゅっと抱きついてしまう。ことが増えた。

 

だいぶいい歳して。

 

何ってわけじゃないけどなんとなく。

 

この数日、そうする度にお母さんが「ごめんねあんたにばっかり負担かけて」と言うようになった。

 

電話やメールでお母さんの気持ちを和らげてくれるお友達や伯母はいる。会って話ができたお友達もいるみたい。父も妹もいるけど実際実働部隊として機能するのは私だけで。

 

私は私の気持ちを和らげるためにお母さんにぎゅってしちゃうのかな。

 

お母さんが退院してきてからは2回病院には付き添ったけど、日常は皿洗いとアイロンと他にちょこちょこくらいでそんなに精出して私が家事してるわけじゃないし疲れるほど動いてないと思うんだけど。

 

しっかりしなきゃってなってるのかな。

 

やっぱりしんどいと思ってるのかな。

 

この前伯母と電話したとき「(私)ちゃんが倒れちゃうよ」って言われてポロッと泣いてしまったことを思い出した。

 

好きなアイドル応援して発散できているつもりだけどできてないのかな。

 

楽しくてパワーもらって元気!ってなるのはほんとなのにな。

 

元気をもらって充電するだけじゃなくて澱みたいのを放出するのも必要なのかな。

 

誰かに聞いてほしいのかな。

 

なんかこうやって書くと発散できるかもと思ってここを始めたけどやっぱり暗くなっちゃうな。

 

でもこうやって書きながら涙を流したら少しすっきりできるかもしれない。来週はお友達に久しぶりに会って話ができる、約束があるんだった。

 

がんばろう。

浅はかだった

歯磨きしようと洗面所に行ったらお風呂に入る前の母が鏡の前に立っていた。

 

 

これ傷15センチくらい?

 

うん。かな?

 

ここ(ワキ)まである。

 

うーん、じゃあ20センチ弱かな?

 

げぇ。

 

それだけのやりとり。

母はただ残ってしまった傷の大きさへのショックを、泣き崩れてしまいそうなやりきれない気持ちを「げぇ」という茶化したような言葉でごまかしただけなのかもしれないけど。

そっか。

なかなか外へ出かけられないこの現状で旅行のこととかあまり考えることがなかったから。

気づいてなかった。

温泉も銭湯も行けないのか。

行けないことはないけどやっぱり行きたくはないよね。

行きたいけど行きたくないよね。

なんかそんなことにも気づいてなかった自分に愕然として情けなかった。

情けなくて悔しくて泣いてしまった。

わたしちゃんとお母さんに寄り添ってあげられるんだろうか。

おかえり

お母さんが退院してきた。

昨日はお母さんのバスタオル洗って台所きれいにして食べたいって言ってたアイス冷凍庫に入れといて仏さんのお花も代えた。

今朝はちょっと早起きして家中掃除機かけた。

入院中は胃の具合がよくない日があったみたいだけど今日は大丈夫そうということでお気に入りのお寿司屋さんで中トロ注文した。

仕事終わってお寿司受け取って家に帰ったらお母さんがいた。

涙の再会ってわけでもなく、穏やかに、おかえり、ただいま、ありがとね、おつかれさま。

夕飯が済んで、笑えたらいいなって残しておいた録画をみせて歌番組を観て笑って。

日常だ。よかった。

テレビ見終わって。

傷見る?

うん。

おぉ。なかなか激しいね。

妹は怖いからみないって言ったんだって。

そうね、私はある意味見慣れてるけど確かに怖いって思っちゃうかもね。でも悪いもの全部取れたんだからよかった。

取れたからめでたしになればいいのに。

それでもやっぱりトリプルネガティブは怖いから抗がん剤治療はしなきゃいけないんだって。

先生も申し訳なさそうな困った感じで話してたって。

再発がやっぱり怖いんだって。

そうか。

やっぱりやるしかないのか。

じゃあまたしんどくなるね。

これで再発したらもうどこでも遊びに行っちゃおうよ。

なんて笑って話しながら。

まずは帰ってきてくれて、思っていたより元気そうで安心した。

肩上がらないってわかってるのになんも気にせず被りの服を着て脱げなくてうんうん言ってて思わず突っ込んでしまった。

開きの服も動く方の腕から着てて動かない方の腕から着るんだよってまた突っ込んでしまった。

開きの服なんてあんまり持ってないから私のシャツワンピ貸してあげた。

こうやってあーだこーだいいながらくらいの感じでやってけるといいななんて思った。

それにしてもお母さんがいるだけで心の余裕が全然違う。

気力ゼロになって動けないのとだらだらリビングで横になってるの姿勢はおんなじなのに心持ちが全然違う。

すごいな。不思議。

お母さん。

おかえり。

お母さんへ

手術お疲れ様。

がんばったね。

わたしの記憶では人生3回目の手術なのかな。

何度目だって嫌なものは嫌だね。

でもすぐ手術してもらえてよかった。

先生にお任せしますとお母さんが頭を下げたら、精一杯やらせていただきますと同じように頭を下げてくれた、誠実ないい先生だよね。

この病院を紹介してもらって受診してすぐ、あっという間に日が決まり、追加検査だ入院前のPCRだ麻酔や手術の説明だなんだとばたばた過ぎていって気づけば入院の日。

このご時世、部屋までの付き添いもできないからと一人で行かせちゃってごめんね。

心細かったよね。

なぜだか、昔法事で北海道に帰ったとき私だけ仕事で先に戻らなきゃいけなくてお見送りしてもらった空港の景色が浮かんだ。

私もお母さんも自分が飛行機乗るのは平気なのに人が乗るのは心配で謎に泣いちゃってもらい泣きで2人とも泣いたやつ。

なんとなくそれ思い出して泣いちゃった。

このおっぱいであんたたち育てたんだなぁとかおっぱいほっぽりだして寝てたしあんたたちも飲むだけ飲んで寝てたなぁとか思い出したら泣けたって話を聞いたときも目の前では耐えたけど部屋で泣いちゃったよ。

あと、この前おばちゃんが昼休憩に電話くれてね。

お母さんも私もストレスのないように楽してね、そっちに行けなくてごめんね、なんでも頼ってね、無理しないでねって言ってくれて仕事の合間なのにぼろぼろに泣いちゃった。

泣かないように気を張ってるつもりだけど結構泣いてるな。

いかんいかん。

お母さんの前では泣かないようにしようと思ってたんだ。

結局入院の日の朝お母さんが、このおっぱいに育ててもらったんだなってお別れして、なんて気丈に振る舞うためか冗談半分みたいに言った言葉には堪えられなかったけど。

しっぱい。

手術予定通り順調にすぐ終わってよかった。

少しほっとした。

予定では1週間で退院。

今は早いね。

麻酔が切れてからがきついかな。

遠慮しないで痛み止め使ってね。

状態が安定して少しでも雑誌とか読む気持ちになれるといいな。

せっかく丸ちゃんの雑誌も持っていったもんね。

私たちはほいほい面会にも行けないから代わりに丸ちゃんに癒してもらえるといいな。

いつもVS魂の流星くんを親戚のおばさんのテンションでドキドキ見守ってるし村上くんと流星くんみたかったね。

うちのピンクジャスミンがおばあちゃんの分まで見るって張り切ってたよ。

夜更かしの口実にされたね。

たまにはいいか。

退院しても体はしばらくしんどいだろうし気持ちもぐらぐらすることも山ほどあると思うけどのんびりいこうね。

この一週間食べるものも制限されてしまったから抗がん剤が始まるまでの期間に好きなもの食べて栄養補給しよう。

ビール飲みたいって言ってたね。

いい機会だし楽できるとこはどんどん楽しよう。

でも動けるとこはどんどん動こう。

浮腫も心配だしさ。

いいかげんによいかげんに。

一通り治療が落ち着くころにライブのお知らせとかきたら最高だね。

関ジャニもライブできますようにってお願いごと書いてたよ。

会いたいね。

きっと遠くない未来にライブ行けるよね。

楽しみにしてよう。

よし。

昨日は日付が変わってから寝たり起きたりだったみたいだけど今日はどうにか痛みもコントロールしてもらって眠れますように。

うん。

うん。

はじまり。

お母さんがガンになった。

 

4月の終わり。胸にしこりがあるという。乳がん検診受けなさいと言い、すぐに予約する。

 

5月。連休明けてしばらくして。結果が芳しくなく精密検査となる。行った先で大きな病院を紹介される。後日さらに詳細な検査。

 

受診までの何もできない、ただ待つだけの時間、これが結構ボディブローみたいにきいた。私も母も。

 

6月。中旬。やっと確定診断。治療方針を相談するも手術待機にしばらくかかると別の病院を提案され、紹介状を書いてもらう。ちょっとバタバタしたけど結果、紹介先の病院もすぐ受診できた。手術の日も決まった。この数日はあっという間だった。

 

ところで、私の叔母、母にしたら義妹が去年乳がんで亡くなっている。術後3年での再発、転移を経て。その叔母と同じトリプルネガティブ。叔母は一番はじめに判明した時ステージ3でリンパ転移もあって母はステージ1なのだけど。ずっと、本当の妹のように付き合ってきた叔母と事あるごとにいろんな話をしていたし、最期本当に苦しんでいた姿をみているし、トリプルネガティブという単語が母に与えたショックは大きかったと思う。私はステージ1で転移も見つかっていないことを喜びたい。と思う。

 

でも気を抜くと泣きそうだ。

 

母の死を想像して、というよりは近い未来の生活がどうなっていくんだろうという気持ちで。かな。みんなが優しいから。かな。

 

私は元気だ。

 

変わりなく仕事しているし、アイドルの応援もしてる。見たいテレビがたくさんあるし雑誌も本も読みたいものがたくさんある。もうすぐ久しぶりの観劇に行ける予定もあるし、かっこいいかわいいおもしろい最高と大好きな人達に心が躍る。ご飯も食べてるしまぁ眠れてる。

 

でもなんとなくどこか気が重い。この先の生活で私の役割が増えるであろうことはなんともない。むしろ私がやれることはなんでもやりたい。やれる体力もあると思う。だけど虚しさなのか恐怖なのか嘆きなのか心の澱が前より増えてしまった感じがする。漠然とした不安に覆われている。そりゃそうなるでしょと冷静に思う自分もいる。変な感じ。

 

はっきりと診断される前も、実際に診断を突きつけられた直後も、母からふと出てくる言葉はどうしたって叔母の経過に裏打ちされたマイナスなものばかり。当然だろう。これからこういうことをずっと聞くことになるのかと思うと気が滅入るところはある。仕事では割り切ってとことん聞けることも身内となるとまだ序章なのにすでにこんなにしんどいのかと途方もない気持ちにもなる。叔母の敵討ちだと思って頑張ると言ってくれた時は少しほっとしたけど、母の心情を思うとそれはそれでなんとも言えない気持ちにもなるし。きっと私にも話せない本心とか私も家族には話せない本心とかもっと出てくるんだろうな。と思う。

 

ただ、手術の日程が決まった日、手術できることが確定した安堵か、その先の治療も少し具体的に想像できてほんのちょっとだけでも気持ちが落ち着いたのか、ただ入院の準備でいっぱいで頭の中にぐるぐる考える隙間がないだけか、この日はなんだか前向きにみえた。

 

ここから本当にいろんなことが起きていろんな感情になってたくさんしんどいことも待っているんだろうけど、安静にしなきゃいけない検査の待ち時間用に丸ちゃんのanan持ってってた母なので、そのくらいのゆるやかな心持ちで向き合ってほしいなと思うし、私もできればゆったり寄り添いたいなと思う。

 

こういう自分のぐるぐるめぐる思いを誰かに聞いてほしいけど今はなかなかそれも難しい。

 

だから自分の覚えのための経過記録と、自分の心の中を吐き出すつもりでここに記事を残していこうかなと思う。